「そっと あなたを あいします」 冒頭サンプル

「あ、東堂さんおかえり〜」
 明かりのついたひとり暮らしの部屋に戻ると、真波がにこにこ笑って雑誌を片手にそう言った。連絡はなかったが、いつものことだ。
 ただいま、と返してそのままキッチンへと直行する。
「夕飯はもう済ませたのか?」
「夕方におにぎり一個食べたっきりです。おなかすいたぁ」
 雑誌を置いた真波がぱたぱたと音を立ててついてきて、オレにはセットした覚えのない炊飯器の液晶にあと十分と表示されているのを確認する。
 既に合鍵も渡しているくらいの仲ではあるが、真波は冷凍庫のご飯とドリンク、調味料以外には手をつけない。連絡さえ入れてくれれば、腹をすかせて待つくらいなら適当に食べていても構わないのだが。
 持っていたスーパーの買い物袋を真波に渡すと、素直に冷蔵庫にしまい始める。その間に手を洗い、夕食の準備に取りかかった。
 真波がこの部屋に入り浸るようになったのは、大学に進学してからすぐだった。自分の部屋からのほうが大学へはずっと近いというのに、それでもロードで登校していた高校と実家との距離とそう変わらないせいか、平気でここから通っている。むしろコース的には、なかなかいい坂が含まれるここからのほうが気に入っているらしかった。
 ここに入り浸っているからと言って、決してオレに甘えてなにもしないわけではない。意外ではあったが、それなりに家事もこなせるし、それを面倒がってもいないようだ。
 それなのにわざわざここまで来るのは、やはり居心地がいいからなのだろう。自惚れではない。オレもそうだからわかるのだ。
 重なる時間の少なかった高校時代には気づかなかったが、真波と過ごすというのはとても居心地のいいものだった。
 長く一緒にいても煩わしいと感じることがなく、ひとりで暮らす寂しさをほどよく紛らわせてくれる。やたらとまとわりついてくることはないが、完全に自分の世界にこもるわけでもなく、それなりに意識をこちらに向けてくる。
 おそらく、真波にとってもオレの態度はちょうどいいバランスなのだろう。
 食事を終えて片付けも済ませ、ひと休みしてから風呂の準備をする。いつもどおり先に入浴して部屋に戻ると、真波がリュックの中を漁っていた。
 目当てのものがなかなか見つからなかったのか、ペンケースだの財布だの充電器だのが引っ張り出されて散らかっている。思わず、髪を拭きながらため息が出た。
「散らかしっぱなしにするなよ」
「お風呂から上がったら片付けます!」
 軽く注意をすると、真波はそう言ってさっさと風呂へと行ってしまった。もう一度ため息をつき、オレは持ってきていたドライヤーのプラグをコンセントに挿した。
 髪を乾かしている間、つけっぱなしだったテレビをなんとなく眺めていたが、視界の隅に見慣れないものが入りこみ、気になって視線をそちらに向ける。真波が散らかした荷物だ。放り出されたペンケースの下に、少し薄めの本があった。文庫サイズで、隼人ならともかく真波の持ち物としては意外すぎた。
 ドライヤーのスイッチを切り、その文庫本に手を伸ばす。真波とはいえ他人の持ち物だし、リュックの中に入っていたのならば絶対に触れないが、こうして床に放り出されていると抵抗感が消えてしまう。
 裏表紙に書かれていたあらすじを読んでみると、恋愛小説のようだった。
「おまえ、こんなもの読むのか」
 音で真波が部屋に戻ってきたのがわかったので、あらすじに目を落としたままそう訊ねる。文庫本を持っているだけでも意外だというのに、まさか恋愛小説だとは。
 なんのことかと真波が後ろから覗きこんできたので、文庫本をひっくり返して表紙を見せる。
「あー、それ、彼女が貸してくれたんです。よかったから、オレにも読んでほしいって」
「なるほどな」
 納得して頷く。オレに見られたことは特に気にならないようなので、遠慮なくぱらぱらとページをめくると、オレでも気恥ずかしくなるような文がちらちらと見えた。こういうのが好きな子なのか、と微笑ましい気持ちになる。
「かわいらしいな。ちゃんと読んでやれよ」
「うーん……オレもともと小説とか読まないんで、なかなか進まないんですよねぇ。いちおう、読もうと思ってリュックには入れてるけど」
「ヨレヨレにしてしまう前に読んで返せよ?」
「はぁい」
 本を閉じて真波に返すと、リュックにていねいにしまいこんだ。折ってしまったりしないよう、真波なりに気をつけてはいるようだ。
 不意に大きな笑い声が起こって顔を上げる。ドライヤーを使っていたので、少しテレビの音量を上げたことを思い出した。少し気になったが大した音量ではないし、これから真波にもドライヤーを使わせる。下げるかそのままにしておくか、テレビのほうを見ながら数秒迷っていると、先に真波がリモコンを手にとった。
「そういえば、今朝見たとき明日の予報微妙な感じだったんですよね。変わってないかなぁ。オレ傘持ってくるの忘れちゃって」
 そう言いながら、真波が画面をバラエティ番組から気象情報に切り替えた。音量は変えていないのに、急に静かになる。
「……またか。折り畳みくらいそのでかいリュックの中にいつも入れておけばいいだろう」
「そうなんですけど、あれ結構重くないですか? 晴れの日まで余計な重さあるのやだなぁって」
「忘れたのではなくて、どうせオレに借りればいいと思って置いてきたんだろう」
「あは、バレました?」
「まったく……ああ、そういえばもらい物の桃があるが、食うか?」
「食べます!」
 ぱっと顔を輝かせてわかりやすく喜んでみせる真波に、自然と口元が緩む。本当は明日の朝に出そうと思っていたのだが、真波の気遣いが嬉しくて今すぐ食べさせてやりたくなった。
 ちゃんとドライヤーで髪を乾かすように言いつけて、桃の用意をしにキッチンへ向かった。
 さっき、オレがテレビを見て迷っていたとき、真波の目にはオレが「嫌なこと」を思い出しているように見えたのだろう。あとから気づいたことだが、そういえばあのときテレビにはゲイであることを公表している俳優が映っていた。
 真波はオレが同性愛者に対して苦手意識を持っていることを知っている。苦手意識と言っても、彼らを気持ち悪いと思っているわけではない。ただ、同性愛者と聞くと思い出してしまうことがあるのだ。
 それは高校三年の冬のことだった。自転車競技部を引退し、後輩のほとんどと接する機会が減ってしまった頃。同じクライマーだった二年の後輩に呼び出され、オレは初めて同性から愛の告白を受けた。
 告白自体は幾度となく受けてきたオレではあるが、さすがに動揺した。クライマーとしての山神に対する憧れを、この優れたビジュアルのせいで勘違いさせてしまったのかと一瞬思い、それから反省した。彼の目は真剣だった。
 動揺は抜けきらないままだったが、誠意をこめて断りの返事をした。それでわかってくれると思った。女子が相手のときには泣かれてしまうこともあったが、彼は男だし、断られるのは覚悟の上での告白だと思っていたからだ。
 だから彼が急に声を荒らげたとき、とっさに反応できなかった。
「そんな簡単に断らないでくださいよ!」
 彼はそう言うと、両手でオレの二の腕を強く掴んだ。その勢いで後ろに倒れかけ、背中が冷たい壁にぶつかった。
「もっとよく考えてくれたっていいでしょう? 今まで男と付き合うなんて考えたことなかったっていうんなら、もしかしたら付き合えるかもしれないじゃないですか。なんであっさり無理だって決めつけるんですか! オレがどんな気持ちで告白したと思ってるんだよ! 試しに少しくらい付き合ってくれたっていいだろ!」
「待て、落ち着け! オレはおまえの気持ちを軽視したわけではない! おまえが男だから考えずに断ったのではないし、もともと女子からの告白も今はすべて断ることにしている」
「なんだよ……やっぱり考えてくれてないんじゃないですか。結局大して実力もない後輩なんか、その他大勢のひとりってことかよ」
「そんなことは……」
 オレの腕を握る力がどんどん強くなってくる。はじめは部の後輩だし、なんとかなだめようと抵抗せずにいたのだが、振りほどけるうちにそうしているべきだったかもしれない。後輩だが、オレよりも体格のいい男だ。力も強いほうだし、頭に血が上ってもいる。今更抵抗して、振りほどけるだろうか。
 焦りのせいか、怖れのせいか、それとも単に強く掴まれているせいか、指先が震えた。
「どうせ、これが黒田とか真波とかだったら、こんな簡単にフったりしないんだろ? オレがもっと速いクライマーだったら! オレだって、オレだって好きでこんなんじゃねェんだよ! なまけてるから速くなれないわけじゃ!」
 後輩はそこで声を詰まらせ、唇を噛みしめた。そして狼狽えているオレを強く睨んだ。
 後輩の顔が近づいてくると、考えるより先に身体が動いていた。だが痺れるほど強く掴まれ続けている腕ではほとんど抵抗にならず、焦って脚を振り上げようとしたとき、勢いよく後輩の身体が離れていった。
「てめぇ、なにしてんだよ!!」
 なにが起こったのか理解する前に響き渡った大声に、驚いて思わず肩が跳ねた。
 オレの腕を掴んでいた後輩は、急に後ろ襟を掴まれ驚いて手の力を緩めてしまったため、オレは引きずられずに開放されたようだった。そうしてオレから彼を引き剥がしてくれたのは、こちらも同じ部の後輩である、銅橋だった。
「ど、銅橋……」
 思わず震える声で名前を呼んだが、銅橋は掴み上げた男へ怒りのこもった目を向けていて、こちらを見てはくれなかった。
「な、なにもしてねェよッ! 放せ!」
「なにもしてねーわけねェだろうが!!」
「やめろ銅橋! 大丈夫だ、なにもされていない……放してやってくれ」
「なんでだよ! 東堂さん、今こいつに」
「銅橋」
「……クソッ」
 銅橋は納得のいっていない顔をしながらも、オレの言うとおりに彼を放した。投げ捨てるように放されたあと、彼は何度かオレに物言いたげな目を向けつつも、銅橋に追い払われるようにして去っていった。
 彼の姿が見えなくなると、気が抜けて座りこみそうになってしまった。だが後輩である銅橋の前でそんな情けない姿を晒すわけにはいかない。壁に寄りかかったまま、ゆっくりと息を吐き出した。
「いいのかよ、あの野郎放っておいて!」
「あいつも同じ部の先輩だぞ、銅橋」
「関係ねェよ!」
 まだ怒りの収まらないらしい銅橋に苦笑を返す。銅橋のおかげでなにもされずに済んだのだから、オレとしてはもうこれで終わりにしたかった。
 もっとうまく、傷つけないように断ることができていれば、彼にあんなことをさせずに済んだのかもしれないという気持ちもある。
 だが本音を言うと、オレはもう彼に会いたくなかったのだ。関わりたくなかった。
 なにもされずに済んだとはいえ、それでもショックはそれなりにあった。親しくしていたわけではないが後輩としてそれなりに信用していたし、自分が同性からあんなふうに求められたことも衝撃だった。
 できるなら、忘れてなかったことにしたかった。彼が諦めずにまたオレに接触してくるのなら対処を考えなければならないが、今は考えたくなかった。幸いオレはもう部を引退しているし、卒業も近い。彼は寮生ではないし、避けることは難しくないだろう。
「さっきはありがとう。助かった」
 オレが笑ってそう言うと、銅橋は渋々怒りを収めてくれた。
「東堂さん、保健室行くか?」
「いや……長く掴まれていたからな、少し痛むだけだ。けがはしていない」
 掴まれていたところをさすっていたら、心配させてしまったようだ。痣にはなっているかもしれないが、放っておけば痛みもそのうち治まるだろう。
 保健室は断ったが、それでも銅橋は心配らしく、オレを送ると言い出した。女子じゃあるまいし、とは思ったものの、ひとりでも一切不安はないとは言い切れないのは確かだった。
 とはいえ今は放課後で、銅橋はこれから部活がある。今が昼休みで教室までならば甘えたかもしれないが、さすがに寮までは頼めない。
「なんなら、真波呼んでくるぜ、東堂さん」
 保健室と同様に断ると、今度はそんなことを言い出した。
「真波?」
「オレでけぇしよ、同じくらいの体格のヤツのほうがいいんじゃねぇかって」
 なるほどそういうことか、と理解して、オレは思わず笑ってしまった。
 そこまで心配されるようなことは本当にされていないのだが、銅橋の不器用な気遣いがあまりに微笑ましくて、ショックもだいぶ和らいでくれた。
 スプリンターの一年で、今まであまり接する機会のなかった後輩だがかわいく思え、それからしばらく銅橋を見かけるとついつい構いに行ってしまった。
 そのあと、もちろん銅橋に送ってもらうのも真波を呼ぶのも断って、ひとりで寮まで無事に帰った。しかし銅橋はそれでも伝えてしまったようで、それ以来真波がさりげなくオレの隣にいることが増えた。大げさだと思いはしたが、気持ちが嬉しかった。
 ちなみに、口止めするのを忘れていたので、フクたちにもその日のうちに伝わってしまった。銅橋も最初からすべて見ていたわけではないし、詳しく説明するよう言われてしまい、仕方なく話した。
 大丈夫だとは言ったのだが、三人ともわかったと言いつつオレを気遣い、誰かひとりは必ずオレと一緒に行動した。真波も頻繁に寄ってくるおかげで、しばらくオレは校内でひとりきりにならずに済んだ。
 告白してきた後輩とは、あれ以来一度も会うことはなかった。すぐに部活も辞めたそうだ。もともとかなり前からタイムも伸び悩み、憧れていたオレの引退を期に自分も辞めて学業に専念しようか悩んでいるとこぼしていたらしいことを、黒田が同学年のヤツから聞いてきた。オレはそれを聞かされても、そうか、と答えることしかできなかった。
 それで終わりだ。オレに身に起こったのは、それだけだった。
 これはトラウマというほどのものではない。あまり思い出したくないことではあるが、もう何年も前のことだ。以前は同性愛者と聞いただけで思い出して複雑な気持ちになったりもしていたが、最近ではあまり気にならなくなってきている。
 さすがに直接関わるようなことは避けたいが、別に彼らに対して差別意識があるわけでもない。直接関わりリアルに思い出してしまうのが嫌なのだ。
 実を言うと、恋愛自体気が進まない。自分から積極的に恋愛しようという気になれないのだ。まあそれは、いずれは自然と好きな相手ができるだろうし、そうなれば特に抵抗も感じなくなるだろう。
 普段はほとんど忘れている。それでもテレビなどで見ると、あのときのことを思い出してしまうことが今でもときどきある。
 そういうとき、真波は先ほどのようにさりげなくチャンネルを変えたりする。
 触れてはこないが、忘れているわけでもない。真波がなにも言わないから、オレも特に礼を言ったことはなかった。
 今回は思い出してしまっていたわけではなかったが、勘違いでも気遣われると嬉しいものだ。
 剥いた桃を皿に盛って部屋に戻ると、真波が嬉しそうに笑ってそれを受け取った。

 高校を卒業してしまうと、フクたち三人と集まることは滅多になくなってしまった。連絡は取り合っているし、それぞれとふたりで会うことはそれなりにあったが、四人全員が揃うのはずいぶんと久しぶりだった。
 全員が成人してからは自然と会う場所は居酒屋が多くなり、今日も隼人が見つけてきた店に時間どおりに向かう。オレは初めての店だったが、隼人が選んだのなら期待できそうだ。
「とりあえずおまえのおすすめで」
 座って真っ先にメニューを手に取った隼人にそう言うと、任せろ、と頼もしい言葉が返ってくる。すぐに何品か決めたらしい隼人が、隣に座るフクにメニューを手渡した。
「新開、メニュー」
 先に酒だけ注文していた荒北がそう言って隼人に手を差し出す。
「今持ってるの寿一だよ。なんでいっつもオレに言うんだ」
「たいていオメーが持ってンだからしょうがねーだろ」
「見終わったらみんな隼人に返すしな」
「それも納得いかないんだが。助かるけど」
「すまん。独占してしまった」
「あー、いーよォー。福ちゃん決まってからで」
「なにか悩んでいたのか?」
「ああ……これとこれどちらがいいだろう」
「四人いんだからどっちも頼めばァ? 残ったら新開食うし」
「靖友、オレを残飯処理係みたいに言うなよ。食うけど」
 話しているうちに酒が来たので料理を注文し、それから四人で乾杯をした。どんどんテーブルに届く料理はどれも美味くて、つい食いすぎてしまいそうだった。
 酔いがほどよく回ってくると、高校時代の後輩たちのことが話題に上ってきた。黒田や泉田、葦木場と続けて名前を聞くと、ハコガクで過ごしていた頃のことを思い出して懐かしい気分になる。
「真波は? 尽八、おめさんよく会ってるんだろ?」
「まあな。しかし真波のことなら今はオレより荒北に聞くべきではないか?」
「オメェ、オレよりアイツといる時間長ェだろ」
「うむ……そうかもしれんな。しょっちゅう泊まりに来ているし」
「仲がいいな」
 しかし今の話題というとやはりほとんどがロードのことで、そういった話ならばオレに話せることはあまりなかった。
「最近の走りはあまり見ていないからな。ロードの話はよくするが、その辺のことならばやはりオレより荒北だろう」
「なんだ、一緒に走りに行ったりしてないのか?」
「まったくないわけではないが……やはり部活が最優先だし、あいつはバイトもしているからな。なかなか時間がつくれんよ。彼女との時間も大事だろうし」
「彼女?」
「ム、おまえたちは知らんのか」
 隼人とフクのふたりは滅多に会う機会がないのだし、当然かもしれない。知っているとしても荒北くらいか。隼人は少し驚きすぎな気もしたが、まあわからないでもなかった。
 真波から彼女ができたと聞いたときは、オレも少し驚いた。高校時代からオレと女子人気を競えるくらいの男だったし、告白を受けることも多かっただろう。しかし今はロードに夢中で、まだまだ恋愛には興味がなさそうに見えたからだ。
 はじめはちゃんとうまく交際していけるのだろうかという気持ちも多少あったのだが、少しずつ真波の口から彼女とのことを聞くにつれ、その心配も消えていった。一度フラれたと言われたときにはハラハラさせられたが、すぐに復縁できたようでほっとした。
 その一度別れた理由が遅刻癖で、今まで待った時間を返してほしいと散々怒られたと言ってしばらく落ちこんでいたから、最近はいちおう以前よりは気をつけているらしい。
 オレのところに泊まったとき、授業や部活のあるときには叩き起こすが休日はいつも放っておいているのだが、彼女との約束があるから起こしてほしいと頼まれたこともあった。
「あいつなりにちゃんと大事にしているのだなと思うと、微笑ましくなるよ」
 少し長くなってしまったが、やはり真波のそういう話は興味深いのか、三人とも黙ってオレの話を聞いていた。
「てめェそれマジで信じてんのかよ」
「どういう意味だ」
 急に冷えた声で言われたことに、反射的にそう返した。だが荒北が再び口を開く前に、隼人が穏やかな声で代わりに続けた。
「そのままの意味だよ。オレも、そろそろ言ったほうがいいかなとは思ってた。真波、そんな嘘までついてたんだな」
 隼人にまでそんなことを言われて、動揺する。ふたりがなにを言っているのかわからなかった。
 いや、なにを言いたいのかはなんとなくわかっていた。だがそんなわけはないと思ったし、信じたくもない。真波がオレに、そんな、ありえない。そう思いながら隼人から目を逸らすと、荒北が痺れを切らしたのか、舌打ちをして声を荒らげた。
「だァから、あいつにカノジョなんていたことねェんだよ!」
「……は?」
「真波は、おめさんのことが好きなんだよ」
「まさか……」
 ついにはっきりと口にされ、声が震えた。笑おうとしたが、顔が引きつってうまくいかなかった。無意識の内に二の腕をさすっていたことに気づいて、慌てて手を下ろす。そんなわけないだろう。
 思わず向かいに座っているフクへと縋るように目を向ける。フクは一瞬迷うように目を伏せたが、すぐにオレと目を合わせてゆっくりと口を開いた。
「真波がなにか企んでいるとは思わない。純粋に、おまえのそばにいたいだけなのだろうが」
「けど気持ちに応えてはやれないだろ? なら、今みたいな距離はあんまりよくないんじゃないか?」
 フクがふたりと同じように考えているのだとわかり、オレはもうなにも言えなくなってしまった。あとに続けられた隼人の言葉は、半分ほどしか頭に入ってこなかった。
 酔いはすっかり覚めてしまったが、まだ酒の残っているグラスに手を伸ばす気にはもうなれない。
 真波がオレをそういう対象として好きだなんて、一度も考えたことがなかった。昨日も真波はうちに泊まっていたが、いつもどおり、そんな素振りは一切なかった。
 三人とも、なにか勘違いをしているのでは。なにかの冗談なのではないかとも思った。だが、荒北が残っていたビールを飲み干してからこう言った。
「てめェら距離近すぎなんだよ。いい加減どうにかしろ」
 吐き捨てるような言い方だったが、心配されているのが伝わってきた。全員、本気で言っているのだ。
 そのあと、フクたちと別れて家に帰ると、真波は今日は来ていなかった。あいつがいなくてほっとしたのは、初めてだった。